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<<   作成日時 : 2014/02/13 07:00   >>

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偉そうな表題だが、私が思いついたタイトルではない。
実は以前渋沢栄一氏の曽孫の渋沢寿一氏に講演をお願いした時に、演題としてお話し頂いたものをお借りしている。

現代は誰がどう言おうと消費社会であることは間違いはない。
最近少しエコロジーなどという言葉が普遍化してきているが、バブルの頃は物を消費するのが美徳とされてきた。まあ、これは高度成長期から顕著に表れてきたことではあるけど、社会が西洋化した頃にその起源を求めることは出来るかも知れない。

これはフォークロア(民俗学)の領域になるが、今でも東北地方の一部には夭折した子供達の遺骸を家の周囲に葬る。考古学の知識を多少お持ちの方はピンと来ると思うが、縄文期の集落では集落の周囲に亡くなった人を埋葬した。
その頃からの習俗が、少し変容しながら残っているというのは希有のことである。
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              《吉野ヶ里遺跡−Wikiより引用−》
因みに人間の住むエリアが拡大すると共に、埋葬する場所は村の外側になっていく。
古い話で恐縮だが春日八郎の名曲『別れの一本杉』では、村の外れにあるお地蔵さんの風景が描かれている。そこまで古くなくても『となりのトトロ』で、迷子になった妹のメイが座り込んでいるのが村はずれのお地蔵さんの前である。
つまり村の境界が現世と来世の境界だったのだ。これも前述の縄文期からの習俗から変容した物と考えられる。

日本人は古くから自然と共生して生きてきた。そして物質文明以前の生活の記憶を未だ持ち続けている。今後消費するだけの社会からの変革を余儀なくされる波がやってくる。
その時に日本人は自らのバックボーンに拠って、世界に継続可能な社会は構築出来ると声を上げねばならない。それも貴方たちのような立場から声を上げるべきだと思う。

というのが渋沢氏の講演のあらすじである。
翻って私の仕事からこれを検証していくと、国宝の『平等院鳳凰堂』は当初『板瓦』を使っていたことは以前の記事にも書いた。これは代表的な物だが、現在檜皮葺の建物の多くが木を割った板瓦を使っていた様である。
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               《茅葺屋根−Wikiより引用−》
それがどうして檜皮葺になったかといえば、板瓦を使おうとすれば木を伐採しないといけない。だが檜皮にすれば伐採せずとも10年に1度檜皮は採取出来る。それこそ木を伐採しない限り半永久的に採取出来るのだ。しかも定期的に皮を剥くことで、目の詰まった堅いいい檜が育っていく。
また板瓦は腐朽したらそれで終わりだが、檜皮は傷んだ部分だけを取り除いて再び屋根材として利用出来る。

出雲大社では檜皮の古材を炭にして病院の断熱材・吸湿剤として利用したり、繊維をほどいて和紙を漉いたりして再利用を図ったという。まあ昔は竈の焚き付けにしたり、山へ返して木の肥料にするという事もしていたらしいが。

檜皮葺だけでなく茅葺きも同様に毎年田圃や茅場から材料が採取出来る。当然森林資源に何も損害を与えることはない。そして茅葺きの葺き替えも使える物はそのまま残して、ダメになった部分のみ新しく葺き替えるのが基本なのだ。
茅葺きの凄いところはパーフェクトなリサイクルが出来るところであり、屋根から降ろされた古い茅は堆肥として利用され、再び土に帰って新たな収穫の手伝いをする。
何という綺麗な循環サイクル。
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              《京都御所・築地塀−Wikiより引用−》
屋根だけでなく古くから用いられている土壁も、古くなって落とした土は再び篩いにかけ練り直せばそのまま壁土になる。何と100%リサイクル。僅かに下地の竹が不要になるにしても、これも程なく土に帰っていくから産業廃棄物など皆無である。
蛇足だが今の石膏ボートより土壁の方が、断熱性・調湿性ともに優れているのは言うまでもない。

そして建物の基本となる木造軸組にしても、やり様によっては千年持たすことも可能なのだ。現に法隆寺が動かぬ証拠として存在する。

ここに記したのはほんの一例だが、古来から日本人は様々な知識を蓄えてきているのだ。

ここ最近『サスティナブル』という言葉が飛び交うが、日本人は昔から知恵を以て継続可能な生活をしていた。現在忘れ去られつつあるにしても。

もう一度日本人の誇りと共に、色々な知恵を取り戻す時期が来ているのだと思う。
日本から世界へ大きく声を上げるのは今だ。

などと柄にもない主張をば…



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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
>もう一度日本人の誇りと共に、色々な知恵を取り戻す時期が来ているのだと思う。

そのためには、近代以降のこの国の人間の過去に対する傲慢さを捨て去り、過去に対して謙虚な姿勢にて向き合うことが大切なんでしょうね。
どうも昨今は謙虚であることが罪悪であることのように勘違いされているかのように思えてなりません。
三友亭主人
2014/02/14 17:48
三友亭主人さん コメント有り難うございます。

産業革命以降の西洋文明というのは、基本的に物質文明ですよね。
明治になって西洋化したときに『日本的な物』というのは、陳腐化されダメな物の代表みたいにされてしまいました。

英国人のアーネスト・サトウが「日本は西洋の文明とは違った形の独自の文化を構築しており、遅れていると判断するのは間違いである」と言っている通り、体験的に作り上げた文化を持っていたのです。

サスティナブルという視点で見ると、古来の日本人の生活ほど継続可能な要素を含有しているものは無いと思います。

忘れていた知恵を思い出す良い機会になればいいと思うんですけどね。
Nori
2014/02/14 23:25
わたくしは
ケチの代表とも揶揄される
愛知県在住ですが、
戦前生まれの方はよく
ものを「だだくさ」にしたら
いけませんと、よく口にします。
意味は、丁寧、丁重、慎重、大切、
手入れ、保管、管理、を怠る事です。
特にご商売屋さんでは、家訓に等しい
くらいです。
わたくし的には温故知新 でして、
因みに喉をだだくさにしたおかげで
花粉症による気管支炎と激しい咳で
ナチュラル酒断ち中でございます。
四の字硬目
2014/02/15 21:24
四の字硬目さん コメント有り難うございます。

花粉症が大変のようですね。
ウチの職場にも花粉症の重症患者がいて、この時期大変なことになっています。
どうぞお体を大切に。

古来日本人には『もったいない』という美学があって、まだ使えるものを廃棄してしまうのを嫌っていました。
ケチだとかいう意味ではなくて、もったいないと言う言葉には色々な深い意味があるような気がしています。

最終的には自然に返して、またその自然から恵みをもらうというのは理にかなったやり方ではないでしょうか。
昔の方々の知恵には深い意味があって、それが今検証され始めているのだとも思います。

古人の知恵に倣う事は決して時代遅れではありません。
逆に最先端の社会に通じるものではないかと思います。
Nori
2014/02/16 08:22
独自の成熟文明なんですよね。日本は。竹田恒泰が先日、テレビで「リンカーンの演説?アメリカは1700年、遅れている」と言っていました。仁徳天皇の統治観との比較ですが。最近、僕の仕事も、この世界に類を見ない独自の成熟した文明に行っています。
根岸冬生
2014/02/16 10:08
根岸さん コメント有り難うございます。

明治以降『日本的なもの』より西洋舶来文物を有り難がる傾向は続いていて、日本人が積み上げてきた文化が蔑まれる事が今でも多々あります。
今まで島国であるが故の独自進化を続けてきており、これは世界に誇れるものだと私も思います。

今でも『日本的なもの』は駄目なんだと思っている人は多くて、この間も西洋至上主義のオバサンから「日本のものって安っぽくていけない」と喧嘩を売られました。
懇々と間違いを指摘してあげたら同行のオバサンに「この人がイジメるぅ」と大声で叫びながら去っていきましたけど。

もっと日本人は自国の文化に誇りを持った方が良いと思うんですけどねぇ…。
Nori
2014/02/16 10:34
 結局西洋文明の表層だけすくい取ったということなのでしょう。文明のスピード・ラーニングですよ。
薄氷堂
2014/02/20 23:01
薄氷堂さん コメント有り難うございます。

日本は近代化の時点で古いものを『旧弊』として捨てる事となりました。
ただ捨てようとしたものの中には、失ったら二度と復活出来ないものも有って、当時の有識者達がそれを保存しようと奔走したお蔭で今残っているものも沢山有ります。

当時の文部大臣だった森有礼なんぞは「西洋人の優等な血を入れて、日本人は全て混血と為すべし」などといった馬鹿な論を展開しておりましたから。

そのお蔭で『舶来品至上主義』が未だに蔓延っている訳で、何とも困ったものです。
でもスコッチだけは別かなと。
Nori
2014/02/21 08:18

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