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zoom RSS 昔から古い訳じゃない

<<   作成日時 : 2014/12/05 07:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

先日奥様とデートをした。
行き先は京都の紅葉で有名な寺院である。
これについては別に記事にするつもりなので詳細は避けるが、大半の彩色の修復工事を行った後だったのでとてもカラフルで綺麗な状態になっていた。
奥様は綺麗な堂内を見て「結構派手な色づかいやね」と感想を。こんな時にも仕事がらみの話をするのがこのオヤジの悪いところである。

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            < 日光東照宮-ウィキメディアより引用−>

要らない話をして周囲に知らない爺様婆様の塊が出来るのが嫌なので、小声で「ちょっと離れてから説明するわ」と人気のまばらな場所へ移動した。
幸いなことに堂内の一角だけ修理前のままにしてあって、剥落が進んでいて下地の胡粉が多少残っている程度の状態であることが判る。それを指さして「ここまで傷んだもんを修復したんやから、大変な苦労と費用やったと思うよ」と諭す様に教えて差し上げた。
すると「これがこんなになるんやねえ」と妙に納得した風であったが、どこまで理解したかは定かではない。

実際に文化財の彩色の復原というのは手間の掛かる大変な作業であって、何も考えずに色をペタペタ塗っていく訳では無いのだ。
先ず残っている塗料を極々少量採取して成分分析を行い、どんな顔料が使われていたのかを特定する。大抵の場合塗料を何層も塗り重ねて形成されているから、斜光ライトというものを当てて色の重ね具合を確認する。それからその部分を正確にトレースして図面を起こし、着色した現状図と予想図を踏まえて実際の彩色作業に移る。
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            < 日光東照宮-ウィキメディアより引用−>

この始める前段階だけでも結構な時間と手間が掛かることはお判り頂けるだろう。
そして場合によっては復原の加減も考慮しないといけない。古くなった塗料とはいえ、それが史料的価値を有することもあって、簡単に全て剥ぎ取ってから塗り直すという事も出来ないのだ。
そして時によってはこの時点でもっと面倒な事も起こる。

肉眼で確認出来る模様の下に、別の絵が描かれていたという場合もあるのだ。
古い文化財は当然これまでに何度か修復された事が有る訳で、古い時代に行われた修復の時に何らかの理由でその絵柄を用いなくなった場合、どの時代の姿に復原するのかという議論も発生する。
また古い層をそのまま保存して修復しなければいけなくなる場合もある。
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              < 日光東照宮-ウィキメディアより引用−>

諸々の準備を万全に整えて施工に臨むのであるが、多くの文化財建造物には巧緻な彫刻を施してあることが間々ある。その造作が巧緻であるが故に欠損がある場合も多く、幸運なことに欠け落ちた部分を所有者が保管していてくれれば良いのだけれど、無くなったままの状態の場合はそれも造り直さないといけない。
こういった下準備も万全を期して行われる。

それからやっと彩色に移る訳だけれども、その作業も複雑で手間の掛かることが多いのだ。
といった訳で彩色については別途に記事にしないと長文になりすぎるので、後日ゆっくりと詳しく微に入り細に入り書いてみたいと思う。

まあ言いたかったのは修復直後のものを見て、「派手になったなあ」とか簡単に言うのは勘弁してあげて下さいと。

姫路城も昔は真っ白だったのですよ。


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なるほど(納得、参考になった、ヘー)

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
> 修復直後のものを見て、「派手になったなあ」とか簡単に言うのは勘弁してあげて下さい

 はい、この十月に子安の塔を拝見したぼくには、ご苦労のほどがよくわかります。見事なお仕事だと感心いたしました。

 たしかに派手といえば派手だけれど、もともと完成当時はそうだったのですよね。また放置しておけば必ず朽ち果ててしまうわけですから、貴重な文化財を保存しようとすれば、いつかは手を加える必要があるでしょう。

 修復後何十年かたてば、また古色がついて、ちょうどいい加減になるはずです。できれば人間も修復していただきたいもので……
薄氷堂
URL
2014/12/06 00:07
薄氷堂さん コメント有り難うございます。

ここ数日出先居りましたもので、お返事の遅くなりましたことお詫び申し上げます。

いやいやこの記事は薄氷堂さんの事で書いたものではなく、修復後にお訪ねした現場で良く耳にする意見なのです。
「前はこんなんじゃなかった」という意見を聞くことも多く、「昔はこうだったんだよ」という言葉をいつも飲み込んでたりするもので。あくまでも引き金を引いたのは奥様なのですが…。

現実的な話として、創建当時よりも『酸性雨』とか『紫外線』などの影響が強くなっておりまして、劣化するスピードが徐々に速くなったりしているのが現実なのです。
そして使える修復用資材も良質なものが少なくなっているという現実もあります。

笑えない冗談なのですが、子安の塔の落ち着いた姿を見られるのは、薄氷堂さんが予想されている時期よりかなり早いのではと思います。

そして人間の修復については、もっと手間と時間が掛かるような
気がしますね。
それと強い熱意というのも必要になってくるかなぁと…。
Nori
2014/12/06 10:21
文章の本旨から外れるとは思うのですが・・・
私のように奈良に住んでいるとよく思うのは・・・あちらこちらに点在する様々な古い建造物が創建当時はどんな姿をしていたのだろうなということ。

たとえば法隆寺にしても何度も何度も修繕を繰り返し古来の姿を保っているわけですが、けれども少なくとも色彩はかつてのそれではなかったわけで・・・となると、大和を旅する多くの人が「日本の故郷」なんて言っているこの地が本来はそうではなかったわけで・・・最先端の都市であったはずなんですよね、しかも国際色豊かな・・・
・・・そんなことも考えながら、この国の本来的な姿を考えなければ・・・と考えてしまうんですよね。
三友亭主人
URL
2014/12/07 10:54
三友亭主人さん コメント有り難うございます。

法隆寺については再建・非再建の話がありますので建立当初の姿というのは議論の残るところであります。そして彩色も柱・梁などは朱で、連子窓は緑青・壁は白壁だという推測は出来ますが、根拠となるものが無いので復原は難しいかと。
まあ再建された薬師寺金堂を見る限りそれほど派手な彩色では無かったような気はしております。

建築様式に限っての話になりますが、海外からの技術をそのまま使う事は少なくて、それらをカスタマイズして取り入れる事の方が多いのです。多分それは既に体験的に得た技術のバックボーンがあったからだと想像出来ます。

まあいずれにしても奈良は当時国際都市であったことに違いはなく、現在の東京を見るように多彩な色を持つ街であったことでしょう。
現在の文化財も当時の最先端の建造物だったのが、長い歴史の間に文化的価値を有するようになった訳ですし、いずれ東京も数百年後には文化財を多々有する街になるでしょう。

ただ言えることは、その時の人間はそれに対して幾ばくかの『ノスタルジー』を感じるようにはなっているだろう事です。
Nori
2014/12/07 12:20

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