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zoom RSS 我が憧れの20番

<<   作成日時 : 2013/11/07 07:00   >>

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巷では子供達の野球離れを喧しく伝える事も久しい。
私達の少年時代は半狂乱の草野球に明け暮れ、誰でも一人は贔屓の選手がいた。例えば長島さんであり王さんに代表されるように。
今は野球ファンであると公言した時点で間違いなくオッサン認定をされてしまう時代である。

この記事を書いているのは楽天が日本一になって喜びも醒めやらぬ時期で、ブログに載ってくる頃には幾分冷静な世論になっている頃だろうと想像する。なので後から読んでも恥ずかしくない程度に熱い心情を語る事にしよう。

最近はプロ野球中継もめっきり減ってしまったけど、今度の日本シリーズについては例外なく殆どの人たちが見ていた筈である。何しろ東北の被災地の人たちを勇気づけようと頑張っていた選手たちなのだから。そして多くの人たちも楽天の勝利を願っていた事と思う。
それはまだまだプロ野球も捨てたもんじゃないと、みんなに気付かせたシリーズだったのではないだろうか。

私は昔からの『星野仙一』ファンの気持ちから、星野さんの就任以来楽天を応援している。であるから今シリーズは毎試合欠かさず見た事は言うまでもない。そして人知れず男泣きしていた事も。
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以前私は長島さんのファンであったから、当然巨人ファンであった。長島さんのファンだった理由は、ごく単純に『燃える男』だったからに他ならない。と言う事だから当然長島さんが監督を辞任した時に、ごく自然に巨人ファンである事を止めてしまった。
それから贔屓の球団がないまま惰性で何となく野球中継を見る日々に変わった。

石川県出身の小松辰雄という選手が中日で活躍し始めた時期であり、巨人が続けてきた連続試合得点記録(つまりずっと完封負がない)を誰が止めるかと注目されていた時の事である。
星野仙一という闘志むき出しの投手が完封に王手をかけた。

この時中日のショートにいた宇野という選手がヘディングをして得点を許してしまったのだけれど、グラブを投げつけて悔しがる様子を見て「こんな熱い選手がいるんだ」とそれからファンになってしまったのだ。
そしてその後中日が久しぶりに優勝を決めた時に、牛島という投手が星野さんの胸の中で男泣きしているシーンを見て「いいなぁ、男の世界だなぁ」と感動して余計好きになってしまった。

実は今シリーズでも銀次選手が星野さんの胸で男泣きしているのを見て、この事を思い出し『もらい男泣き』をしたのであった。

星野さんの今回の采配について賛否両論あるようだが、ゲーム序盤から田中投手がベンチ入りしているという話を聞き、前日の事があるから9回1イニングだけは投げさせるだろうなと予感はしていた。
これは私だけに限った事ではなく、星野仙一の言動を注視していた人たちは等しく考えた事だろうと思う。星野仙一とは、野球が基本1対1の力の勝負なのだと知っている人だから。
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評論家の玉木正之さんは「野球の面白さは息詰まるような1対1の勝負に尽きる」と言っていた。だから映画の『メジャーリーグ』に感動するのだと。
フォアザチームというのも決して悪い事ではない。だがそれが過ぎると選手が勝負したい時にでも監督が割って入ったり、徒に間を取って雰囲気を壊したりする。
酷くすると完全試合直前の投手を交代させたりする。

阪神時代の星野さんも選手の「勝ちたいんや」という気持ちを正面から受けて、長年のおんぼろチームを優勝へと導いた。でもそれだけではなく、将来は阪神OBが監督をするべきだという意志もあって、岡田さんをずっとコーチで使って最終的には監督に推薦した。
この時も岡田さんをスタッフに入れたと聞いた時点で、巷の星野ファンは将来岡田に譲って身を引いていくつもりだと予見していたはずである。

てなわけで私が所属していた草野球チームでも背番号は迷わず『20番』である。
これは小松辰雄でもなければ定岡なとどいうヘボ投手の番号でもない。

漢(おとこ)星野仙一の現役時代のエースナンバーなのだ。



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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
>子供達の野球離れを喧しく伝える事も久しい

私たちの小さい頃は、子供たちが集まれば野球でもサッカーでも自由に選んで興じる場というものがありましたが、今はそうも行きません。何かと大人が介入して野球の子は野球だけ、サッカーの子はサッカーだけというシステムになってしまい、自由にいろんな球技に触れる機会というものがなくなってきました。その分、野球の好きな親の子は野球だけ、サッカーの好きな親の記にはサッカーだけ・・・そんな世の中になってしまったの大きな理由にあるのではないかと思っています。
そんなんでいいのかなと思うのですが・・・・
三友亭主人
URL
2013/11/07 07:45
高校だったか、浪人時代だったか
隣町の所沢にライオンズがきて、
当時は今のベイスターズのような弱さでした。
雨の中、東尾が孤軍奮闘していて
客席もパラパラ。
「東尾〜っ俺もお前もつらいけどがんばろうなぁ」
なんて訳のわからぬ応援をしていた時代があります。

根岸冬生
2013/11/07 10:31
こんにちは!
昔は野球の人気がすごかったですね。地域にもよると思いますが、大阪ではサッカー少年はほとんどいなくて、みんな野球だったような気がします。好きな球団の帽子をかぶり、三角ベースなんかをするわけですね。
川上監督時代の巨人の連続優勝を破ったのは中日でしたね。
たしかに星野仙一はマウンドで吼えるようでした。ボール、の判定に本気で怒っていました。矢沢健一とか高木守道などの名選手が揃っていたあの頃の中日、よかったですね。
只野乙山
URL
2013/11/07 11:37
三友亭主人さん コメント有り難うございます。

昔はモノになろうがなるまいが「遊びは遊び」と、大人たちがゆったりした気持ちでいたような気がします。
今は「上を目指せ」と小さい頃から英才教育に走る場合が多いような…

だから早いうちから色々な可能性を諦める子も増えている気もします。
まあ、憧れの職業が以前とは違って多様化しているのは悪い事ではありませんが、遊びは遊びと構えていられる余裕が大人になくなってきているのかも知れません。

やる事全て進路に繋げようとするのも善し悪しのような…
Nori
2013/11/07 14:17
根岸さん コメント有り難うございます。

最初楽天も観客が少なくて「選手たちは可哀想だな」と思っておりました。
その後震災があって選手たちが色々な場所でボランティア活動をするようになって、地元の方たちとの距離が一度に近くなっていった様が感じがしています。

まあ思えば田尾さんが最初監督をやっていて、歴史的大敗とも呼べるような負け方をした事を考えれば、日本一というのは夢のような話に違いありません。

当初はエースの岩隈一人だけといった状態だったので、それこそ昔の東尾さんみたいでしたね。
良い選手なのにチームに恵まれないというのはままある事で、ヤクルトの尾花や南海の門田なんかは可哀想な気がします。

学生時代に中日×西武の日本シリーズを見に、西武球場に行った事がありました。
その時は超満員でライオンズファンの地鳴りのような声援の中で、声を張り上げてドラゴンズの応援をしていましたね。

ちなみにその時は矢沢の決勝ホームランでドラゴンズが勝ちましたが。
Nori
2013/11/07 14:38
乙山先生 コメント有り難うございます。

大阪のあたりでは在阪球団が幾つもあったから、野球は身近なものだったでしょうね。
巨人にいた高田選手も大阪出身で『南海ホークス』に入団したかったのだという話を聞いた事があります。

私の実家は野球ファンが余り居らず、テレビで見るしかプロ野球に接する機会がなかったので、遙かに遠い遠い存在でしたね。

小松が1軍で活躍を始めてから、北陸出身の人間でも活躍出来るんだなと初めて思った位で。
そんな訳で中日の試合を見るようになった次第です。

星野仙一はその時から熱い男でしたね。今よりずっととんがっていましたけど。
矢沢・大島・田尾・上川・平野といった良い選手がいて、魅力的なチームでもありました。

記事にもありますがとある人間が監督になってから、きっぱりドラゴンズファンから足を洗いました。
それは私だけではないようですが…
Nori
2013/11/07 15:07
余談で恐縮ですが、
楽天一軍チーフコーチ
仁村徹氏の尽力にも拍手を送り
たいですね〜。(^_^)
四の字硬目
2013/11/07 22:28
四の字硬目さん コメント有り難うございます。

仁村弟は星野さんの監督時代に、気迫溢れるプレーで頑張っていましたよね。
今回も選手たちに気合いを注入していたのは彼だったような…

若手が沢山台頭してきたのも、育てるノウハウを持っている人間がいるからだと思います。

星野−仁村という関係は、星野監督の初めての優勝の頃を彷彿させて感慨深いものがありますね。
Nori
2013/11/08 00:26

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