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zoom RSS 吉野の名を聞くに…

<<   作成日時 : 2014/05/10 07:00   >>

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前の記事で奥様と吉野へ小旅行したことを書いた。
何故吉野だったか。本当の理由の一つは前回の記事にある通り、仁王門の修復工事だった事は事実である。だがそれだけではない。
これは私の心の底のから知らずと湧き上がる何かに従ったに他ならない。
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私達は仁王門を抜け蔵王堂へ向かった。
ご存じの通りこの金峯山寺は修験道の聖地である。南は紀州熊野から尾根伝いに『大峰奥駆道』が通り、山の尾根尾根には行場やら宿坊やら散在しながらこの寺に繋がっている。
私は辱知の寺院関係者に会わないように、おずおずと蔵王権現の御前へ罷り出てつまらぬ煩悩を断ち切り、枯れること無く湧き出す知恵を授かる様にお線香をあげさせて貰った。
まあそんなに深い悩みがあった訳ではないが、仕事絡みで決断しかねることがあったから愚痴を聞いて頂いた様なものである。
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幸いなことに「上がって茶でも飲め」と言ってくれる方々は不在のようで、若い方達ばかりだったので心ゆくまでお参りを…。
ここで勧められるお茶というのは非常に高価で、黙って参拝出来れば数千円で済むところが、茶を飲んだばかりに数万円にまで跳ね上がるから厄介なのだ。
そんな私の心配を他所に、奥様は境内の『脳天大神』に興味津々のようである。確かにご自分の頭脳に不安があることは推察出来ますが、祈ってどうにかなる程度なのか微妙な所でしてな…。

試しに「何かお願いする?」と聞いたら、子供達の学業成就をお祈りした方が良いんじゃないかと思ったようである。いつまでも子供達のことばかり考えているようで、そこが奥様らしいと妙に納得した。松蔭先生が仰有ったとおり、親思う心に勝る親心というのは凄いものである。
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そして私のもう一つの目的が蔵王堂の目の前にある。それは所謂『四本桜』を前に思索に耽りたかったのだ。
通常の寺院で本堂の前にこれほど大きなスペースを割いた囲いは存在しない。
でもそこが吉野の吉野たる所以であって、今の世では少数派になってしまったとは言え、日本史上に吉野の名は大きく日本人の感情を揺さぶるものがあるのだ。

私が小学生の時に兄が買った和歌森太郎氏監修の『漫画 日本の歴史』を読み、南北朝期の歴史に初めて触れたのだった。学年で言えば小学校4年生の頃で、学校で歴史を教わるずっと前だった訳で、時折テレビで見る大河ドラマなどの時代劇で大まかな歴史を知るだけだった。
この本も最初に清盛や頼朝・義経が活躍する鎌倉時代から読んでいて、やはりテレビドラマの影響であったことは間違いのないところだろう。『吉野』の名も義経絡みで初めて知った。
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読み進めて行くうちに鎌倉末期からのドラスティックな動きに心を奪われ、すっかり虜になっていったばかりでなく、家にあった平凡社か何かの出版した口語訳の『太平記』を読み漁るようになっていた。そして6年生になって歴史を教わる様になって、教師がここの部分を避けるような教え方をしたのに甚く立腹したのだった。だって楠正成公の事蹟は無視して、名前だけ出すような教え方なんだもの。
そして幼心に「大人になったら絶対吉野に行く」と決めたのだった。

その後色々と仕事絡みで吉野を訪れることはあっても、個人的にゆっくり吉野山を歩けたのは今回が初めてだった訳である。あの頃の誓いを漸く果たせた様な気がする。

蔵王堂から吉水神社へ向かう。
そう吉水院に行く事。それももう一つの理由だったことに疑いを入れない。
何と言っても後醍醐帝の行宮のあった所なのだから。

次回は吉水神社のことなどを書いてみようかなと…。
要らんことをクドクド書くから、収まりきらないという馬鹿な話で。




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
しかしまあ、ここの御本尊様の御顔の怖さってったらありませんよね。
あんなお顔の真下に坐らされたら誰だってついつい心のうちを・・・

私に知り合いでカウンセラーを目指していたものがいたんですが・・・なにせ究極の強面のものでして・・・なかなか患者さんが喋ってくれない・・・ってことであきらめたものを知っています。
けれども、ここの御本尊を見る限りでは、そんなことは関係なさそうですね。
三友亭主人
2014/05/12 23:15
三友亭主人さん コメント有り難うございます。

世間でも強面の人ほど心が優しかったりするもので、不動明王もそうですが蔵王権現さんも優しさを持った仏様だと思います。
やましい事がある人間には途轍もなく怖く見えて、やましくない人達ににはとても有り難いということらしいですから。

まあ人というのは人間以外の畏怖の対象がないと堕落しますから、そういう面から言うと色々と教えて頂けて有り難い事だと思います。

私には優しく有り難い仏様でした…なんて。
Nori
2014/05/13 01:17

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