この辺りの者でござる…

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<<   作成日時 : 2014/05/23 23:50   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 6

今年も青葉の季節がやってきて、また何か少し懐かしい感じのする初夏がやって来る。
少年の頃より一年の長さが短く感じるのは、怠惰な毎日を過ごしているからに違いない。

私の周囲では子供達が家から巣立って、20余年ぶりの夫婦二人きりの蜜月だったりする。とはいえ二人で居ても特に胸がときめく訳でもなく、胸から熱い思いがこみ上げてくる訳でもない。
じっと見つめ合えばキリキリと胃が痛んだり、偏頭痛が発生する位のものだ。
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この山村では外見的変化の少ないお年寄り達と過ごしている為か、時間がゆっくり流れている感じがする。謂わば竜宮城みたいなものか。
それでもお年寄り達が住民の半数以上だから逆に、去っていく人達が目立ってしまうという事もある。特に今まで付き合いのあった人達が、文字通り『櫛の歯を引くように』一人ずつ居なくなってしまうと、無常観や寂しさを感じるのみならず、現在の山村の厳しい現実にも直面する。

以前の記事にもしたが『ユキヤナギ』の持ち主であるおばさんの御主人が、数ヶ月前に亡くなってしまったのだった。
おじさんは元々学校の教師をしていて、もう廃校になってしまった学校近くの現在の家に住むようになった。人当たりが良く人望があったから、区長という仕事を暫くの間務めていた。他所からやって来た私にも親切で、この里で生まれた人間を嫁にもらったという事もあったろう、『よそ者』扱いをせずに色々と付き合いをしてくれたのは有り難かった。
例えばその年に採れた新米を持ってきてくれたり、以前の記事にもした畑から収穫した野菜を貰ったり。
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そしてウチの犬達と散歩に行く時の通り道に家があったから、毎朝夕いつも挨拶して通るのが常だった。元々おじさんの家には小型犬が居て、それほど愛想のないウチのお犬様達にも多少の可愛さを感じてくれたようで、通りかかる度に犬達にも声をかけてくれたのだった。
そして何よりウチの子供達が幼い時に、その学校のグランドでキャッキャ遊んでいるのを、やさしい眼差しで見守ってくれていたのを私は知っている。

おじさんが体調を崩して病院に入った事は、姿を見かけなくなってしばらく経った時に義母からその詳細を聞いて知った。
おじさんおばさんの間に子供はなく、世話をする人間はおばさんしか居なかったから色々と大変であっただろう事は容易に想像出来る。でも何か手助けになる事をしようとは思ったが、具体的に何をすればいいのか全く思いつかないまま時間が過ぎた。

おじさんが退院してきた事を聞いて体調が戻ったのかと思っていたが、その後見かけた時にはひどく痩せていて中々声をかけられずにいた。
そしてそうこうしている内に、亡くなったという話を聞いたのだった。
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そんな事があったからかも知れないが今年のユキヤナギは少し花の付きが悪く、写真を撮っていても何か寂しいものを感じてしまったのだった。
だがおばさんの畑はいまも綺麗に手入れをされていて、いつ見ても何か花が咲いているか野菜が実っている。

故あってこのユキヤナギは伐採されてもう見る事は出来なくなってしまったが、今思うのは人も花も常ではないという事。
そして山里で暮らすという事は新たな住人を迎えることなく、これからも去っていく人を見送り続けなければならない覚悟を持たないといけない事なんだと、改めてひしひしと感じている。

少しずつ増えていく空き家と休耕田を見ながら、言いようもない寂寞を感じている今日この頃である。

子供達が居なくなった事も大きく関与している事なのだが。




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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
 わが裏庭でもユキヤナギが咲きましたが、二年前に伸び放題の枝をばっさり払ったせいもあって、まばらに花がついているだけ。こちらのお写真のみごとな花にはとても比べようもありません(でも撮ってみようかな)。

 主を失った庭や空き家に咲く花に漂うさびしさには特別のものがありますね。わが家もいずれは……と思うような年になりました。
薄氷堂
URL
2014/05/24 08:01
薄氷堂さん コメント有り難うございます。

このユキヤナギの花はこの写真が最後になってしまいました。
山村の狭い路沿いにあったせいで、心ない人間が「車の通行の邪魔になる」という理由でおばさんに伐採して良いか尋ねたらしいです。
おばさんが渋々同意したら根本から着られてしまったようで。

私同様に他所から来た人間が居て、地元に馴染んでいけばいいものを、自分の主張ばかり繰り返すようなタイプなので困ったものです。

誰も居なくなった家がこの辺りには結構あって、世話はされていないのに健気に咲く花には心が動がされます。
仰有るように我が家もオッサン・オバハン2人切りになりましたので、ゆくゆくは我が家も森に飲み込まれていくのだろうなと漠然と考えたりします。

時間というのは無限ではないのだと痛感する歳になりましたね。
Nori
2014/05/24 09:15
野菜をくださる近所の御老人・・・我が家にもそんな方々が数人存在しています。みなさん、もう、かなりのご高齢。
いずれ私もNoriさんの抱いているような感慨を持つような日々が来るのかもしれません。来ないでほしいのですがね・・・
でも、そんなことを感じるようになってきたということは我々も一歩一歩、そんな方々の年齢に近づいているということ・・・
ユキヤナギを見る季節を迎えるのも、もうそろそろカウントダウン・・・時の流れを感じます。

そうそう、例の我が家の裏のどぶ川に今年最初の蛍の輝きを見ました。これもまたこれから何度見ることが出来るのやら・・・
三友亭主人
URL
2014/05/24 21:05
三友亭主人さん コメント有り難うございます。

自分が歳をとると同時に知人が一人二人と居なくなってしまうのは寂しいものです。でもそれが山村に住む人間の宿命みたいなものですね。
だから余計に近所の人達の健康とか色々な動向が気になったりします。いつまでも元気でいて欲しいなと。
とか言っている私も決して若い人間ではありません。

それはさておきもう今年のホタルが出たんですね。
私は周囲を見回す心のゆとりがないようで、今年はまだ出会えていません。まだまだ風流を感じられる心にはなっていないようです。

おっしゃる様にあと何度出会えるか…という事に思いを馳せるような歳になってしまいましたね。最近色々な事物に出会う度に『一期一会』という事を意識します。

仕事にしても現場に立っていられる事が嬉しかったりします。
若い時は職場の奥でふんぞり返って居られる立場が羨ましかったのに。
限りある現場に立てる機会を、より大切により楽しんで行こうかなというのが今の課題ですね。

川中島に向かう不識庵謙信のように『一手切り』というのを意識して…というと大袈裟なんですけどね。
Nori
2014/05/24 23:01
以前は、職場のあった区で、運動会の時に、僕らが主体で300人分の本土風とん汁をつくったり(沖縄風だと角煮のような固まり肉になっちゃいます)、酒を公民館に持っていって酒盛りをしたりしました。いまでも、帰る度に、区長さんのところに挨拶に行きますよ。問題は連れ合いのところですね。僕はまだ、50代ですが、その日の覚悟は必然的に生れてしまいますね。それは、言葉を変えれば孤独死の覚悟ですね。我ながらバッカみたいだとは思うけど、立つ鳥後を汚さず的な立ち振る舞いを、死後の問題で、眠れぬ夜にふっと考えてしまいますね。
根岸冬生
URL
2014/05/27 18:05
根岸さん コメント有り難うございます。

昔はこの山里でも運動会をやっていたのですが、子供達がいなくなり年寄りばかりになってきて、いつの間にか無くなってしまいました。
周囲が年寄りばかりになると、我が身も振り返ってみてしまうものです。

理想をいえば老人ホームなんかで介護士のおねーさんの尻をなでながら「クソじじい」と言われながら息を引き取る事ですね。

ぼちぼちいけなくなると思った時には、そっと山にでも入る事になるかもしれませんが。
Nori
2014/05/27 23:26

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